2012/09/25 | 非大学型高等教育・レッツラーン大学校を考える会 | | by:hidaka |
---|
「京都レッツラーン大学校とは結局、何をしているところですか?」
と聞かれることがあります。
私たちの活動のきっかけは、このホームページの「ミッション」をご覧になっていただければ少しはお伝えできるかな…とは思いますが、ミッションを理解するための前提知識(歴史的な背景や現状について)も多少必要ということもあり、私たちの活動について初めて聞く方々にも分かりやすく簡潔な言葉で伝えるのにどうしたものか…未だに悩んでおります。
(そしてこのプロジェクトが動き始めた2009年に想定していた事も、3年経った今では少しずつ変化してきました。
軸はぶらさずとも、社会の変動にあわせて走りながら進路の調整をしている状態とでもいいましょうか…)
私自身、1年半前にこのプロジェクトに関わり始めた頃は京都レッツラーン大学校の構想や展望が「何となくわかるけど何となくわからない」という状態でしたが、スタッフ間の話し合いやご協力いただいた方々との話、代表の話や論文を読んでいくうちに、「こういうことなのか」と理解し始めたのがやっと最近です。
以下は私がこの活動を通じてよく触れたキーワードです
「非大学型高等教育」
「変動社会」
「教育費の高騰」
「知識基盤社会」
「セーフティーネット」
「“教える”から“学ぶ”へ」
「アナログ技術者育成」
このキーワードを読んでみて、…何となくこういう活動をしているのかな?とうっすら見えるけれど、でも結局それって詳しくはどういうことなのかな?という状態になりませんか。
“教育”や“アナログ技術”とか、自分にはあまり関係ないかも…と思われるかもしれませんが、それらを取り巻く環境・社会は私たちの生活ともどこかでつながっています。
だから「自分とは無関係・自分の生活には影響がない」とは言いきれないのではないでしょうか。
例えば、学ぶ側から言えば…
学ぶ意欲があっても経済的な事情等で学習機会がなかなか得にくい人にも、社会的に質保障された学ぶ場を提供すれば、その学びがまわりまわって社会へ還元されていきます。
学びを提供する側からいえば…
個人や組織が持っている知識や経験や場所を提供することで、社会に貢献することができます。
というふうに―よりよいこれからをつくっていくためには、いろんなひとの小さな力がますます必要となる気がします。
「自分は森羅万象とつながっている=みんなどこかでつながっている」
何だか手塚治虫の「ブッダ」で(例えが古いですが…永遠の名作なので)、ブッダが悟りを開いた瞬間の想いみたいになっていますが…(笑)
そんな京都レッツラーン大学校の構想や実践のあれこれについて(「あれこれ」って便利な言葉ですね)いろんな方々と意見や情報交換をしてみませんか、という「レッツラーン大学校を考える会」の第2回目を9月22日に開きました。
詳細はつづく…!